今回は番外編?です。

本学の歴史系ゼミでは、秋に見学旅行に出かけるのが恒例となっています。
今年度は、10月に地域史ゼミが福岡・長崎、11月に考古学ゼミが香川、そして文化史ゼミが広島に行きます。
偶然か、行き先がいずれも西日本というのは、やっぱり福島にいると遠くに行ってみたくなるものなのでしょうか…。
時間その他の都合がつけば、ゼミ以外の教員・学生が一緒に参加することもよくあります。
今回は、徳竹先生率いる地域史ゼミの仲間に入れてもらい、1日だけ同行することにしました。
目的はただ一つ、「軍艦島」です。
あわせて別行動で平戸や「肥前名護屋城」に行きたいのですが、台風19号が心配で…。

地域史ゼミに遅れて長崎入りし、合流したのが土曜日の昼。
Sくんのセレクトで、地元の方でにぎわう中華料理店へ。
一般的なイメージとはちょっと違い、澄んだスープでしたが、絶品な「ちゃんぽん」をいただきました。

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その後はすぐ近くの出島を見学。

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そして最大の目的である「軍艦島」へ。

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航路の途中で見える、長崎の造船所のスケールに圧倒されつつ、まずは高島へ。

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ここでは炭鉱関連の資料館を見学し、軍艦島の模型を前に説明を受けました。

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どうも、上陸できるかどうかは状況次第で、かなり微妙とのこと。昼前の便はみなダメだったそうです。
ここまで来たのだから、あとは運を天に任せ、何とか上陸したいものです…。

船に乗り込み、夢にまで見た目的地の「軍艦島」が見えてきました。

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何と!今回は上陸可能とのこと!幸運とはまさにこのこと(・ω・)

上陸後はガイドさんの「軍艦島」への思い入れたっぷりの説明に耳を傾けながら、かつては多くの人々によって最先端の生活が営まれ、今では廃墟となってしまった光景をしっかり目に焼き付け、シャッターを切りました。
※徳竹先生情報によれば、今回のガイドさん、『朝日新聞』の記事に紹介されていた「凄腕の案内人」さんだそうです。
 これまた幸運でした。

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帰港後は、閉館時間になっていましたが、大浦天主堂、オランダ坂を散策し、夜の長崎で懇親会。

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長崎は国体開催期間のため一切宿泊先がとれず、地域史ゼミ一行は博多、私は途中下車して佐賀へ。

翌日は午前中一杯天候がもつということで、もう一つの目的である「肥前名護屋城」へ。
ローカル線とバスを乗り継ぎ、いか漁で有名な呼子を経由して、いよいよ目的地へ。

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豊臣秀吉が二度にわたる朝鮮出兵の拠点として築いた城ですが、月並みながら、秀吉の軍事動員力と財力のスケールの大きさに圧倒されます。
とりわけ、天守台跡から見た玄界灘の光景の素晴らしさには思わず声を上げてしまいました(ちなみに、他の見学者は誰もいませんでした・笑)。

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早足で城内をすべて廻り終る頃に小雨が降り出したので、名護屋城博物館へ。

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帰りは全くの偶然ですが、予定になかった別のバスに運よく乗車でき、早々に唐津駅へ。
遅い昼食は、名物のいかづくしの弁当でした。

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台風19号の接近に備え、予定を早めて飛行機の便を変更し、福岡から帰路に。
唐津から福岡空港までは乗り換えなしで行けるので、とても便利です。

台風がなければ、文化史の授業でも取り上げるキリスト教宣教師とゆかりの深い平戸にも行ってみたかったのですが、今回は軍艦島と肥前名護屋城だけで満足度120%(笑)。
地域史ゼミの皆さんのおかげで、いいものを見ることができました。

さて、以下の話はややこじつけかもしれませんが…。

肥前名護屋城は秀吉の朝鮮出兵で築かれ、その後は廃城の運命に。
軍艦島(正式名称は端島)は、石炭の採掘を通じて日本の近代産業を支え、そこで働く労動者と家族たちの生活の歴史を刻みこみながら、炭鉱閉山とともに廃墟となりました。
いずれも歴史の一時代に大きな役割をはたしながら、二度と利用されることのないまま廃城・廃墟となり、現代になってその歴史的価値が認められ、保全がはかられています。
軍艦島などは特に、「近代化遺産」という新たな価値規範が生まれていなかったら、見向きされることのないまま、自然倒壊を待つだけの運命だったことでしょう。
そう考えると、ある意味で幸運といえます。

一方、3・11の震災後には、少なからず歴史的価値を有する建造物が壊され、歴史資料が破棄されたことでしょう。
また、昨今の震災遺構の保全をめぐる論議は、震災の恐怖を思い起こしたくないという住民感情もあって、なかなか難しいところがあります。
何でもかんでも残せるわけではありませんが、往時の姿を伝える歴史遺産というものは、今の私たちだけのものではなく、後世の人たちも同じように享受する権利があり、それを少しでも多く伝えていくことが、今を生きるわれわれのつとめでもあります。
建造物、景観なども含め、地域の歴史を伝えるさまざまな文物をいかに後世に伝えるか、そのためには所蔵者を初め、地元の多くの方々がその歴史的価値を認め、自分たちの手で護り伝えようという意識を高めていくことが必要です。
そのためにどういう協力ができるのか、それがわれわれ歴史資料保全活動に携わる者たちにつきつけられた課題でもあります。

軍艦島からの帰路、Iくんからの何気ない問いかけにふとそんなことを考えた、長崎・佐賀の旅でした。
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