昨日は東日本大震災から2年半ということで、報道でもさかんに取り上げられていました。
(アメリカ同時多発テロからも、もう12年経つんですね…)
その2年余の福島県における文化財等の保全活動を伝える『ふくしま再生と歴史・文化遺産』も初校ゲラが出て、目下執筆者に校正をお願いしているところです。

さて、昨日は構内で史跡保全をめぐる動きがありました。
学内では賛否両論に二分された環境放射能研究所の新設を前に、プレハブ施設を建てる予定の場所が古代・中世の奥大道と推定されている古道に隣接しているということで、現地視察が行われました。

20120911奥大道①

この前まで雑木林だった建設予定地はすっかり伐採されて、平坦部があらわれていました。

20130911奥大道隣接地①

試掘については、今後動きがあれば改めてご紹介できればと思います。

20130911奥大道隣接地②

奥大道については、環境放射能研究所の建設予定地が問題になったあと、今年の5月に伊藤喜良先生に案内していただき、皆で一緒に歩いたことがあります。
そのときの写真をいくつかご紹介します。

2013年5月奥大道①

2013年5月奥大道②

2013年5月奥大道③

2013年5月奥大道④

この山道をずっと歩いていくと、ちょうど東北新幹線が福島盆地に入るトンネル出口付近に至るんですね。

2013年5月奥大道⑤

2013年5月奥大道⑥

今度は戻って、先ほどの平坦地(撮影当時は伐採前)から図書館方面を見渡したところです(ちょっとわかりにくいかも)。

2013年5月奥大道⑦

ここから先は、もともとは傾斜地となっていて、古道の延長上と想定されるあたり、図書館の前方に4体の地蔵があります。

はっつけ地蔵①

はっつけ地蔵②

近くの「金谷川の由来」を記した看板によれば「はっつけ地蔵」というのだそうです。
この場所はもともと関谷部落と若宮部落の境界である丘の上にあり、疫病などが出た時に情報を知らせるため、書状を貼り付け(=はっつけ)、連絡場所としたことによるとの説明があります。
看板を見ると、かつての道が小字の境に利用されていたことがわかります。

金谷川の由来

もともとは市内中心地に別々にあった教育学部(浜田町)と経済学部(森合町)のキャンパスを統合するため、金谷川の地に移転してきたのが1979年のことでした。
経済経営学類には、移転予定地の現況と校舎整備後の様子を示す模型がそれぞれ所蔵されています。

金谷川地区現況模型

大学建物配置模型

この模型からも、かつては古道がキャンパス内を通っていたことがわかります。
現在はすっかりその面影もなくなってしまいましたが、移転前からの景観を残すところもあるようなので、機会を見つけて大学周辺を散策してみたいと思っています。
よく考えると、私のキャンパスライフは、ほぼ1/3~1/4程度のテリトリーで完結しています(笑)。
もしかしたら、取り立てて面白味もない金谷川(笑・失礼)のどこかに、歴史を感じさせる興味深いものが隠されているかもしれませんね。
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