今日は朝から一仕事して、来学していた富岡町とのご挨拶もそこそこに、浪江町に向かいました。
昨年末から始まった文化財調査の中で情報の寄せられていた資料のレスキューです。

資料は耐火金庫に収められていましたが、被災で横転し、正面扉が底側になってしまいました。

20150623浪江町 (1)

簡単にひっくり返せるものでも開けられるものでもないので、対処方法については関係者の間でも議論がありましたが、時間等の制約もあり、結局はダイヤモンドカッターで鉄板を焼き切り、中身を取り出すことになりました。
文字通りのレスキューです。

20150623浪江町 (2)

耐火金庫の構造を初めて見ましたが、鉄板と鉄板の間に砂が敷き詰めてあるんですね。
砂をかきだすのも一苦労です。

20150623浪江町 (3)

ダイヤモンドカッターを休ませつつ、刃を頻繁に交換しながら2枚目の鉄板を焼き切ると、ようやく内装の板部があらわれました。

20150623浪江町 (4)

この板を取り外すと、震災から4年余が経過した資料が姿をあらわしました。
資料は津波をかぶっているため、ひとまずビニール袋に入れて隔離し、今後の措置を講じることになります。

20150623浪江町 (5)

20150623浪江町 (6)

当初、内部は3段とみられましたが、大きさからみてもう1段ありそうだということで、学芸員さんに中に入って板を外していただいたところ、引き出しになっていたので、中身を取り出すことができました。

20150623浪江町 (7)

こうして、4年以上前に被災し、半年前に所在確認の行われた資料が、ようやくレスキューされました。

20150623浪江町 (8)

帰りに南相馬市小高区の磨崖仏を見てきました。
震災後に初めてご案内いただいた当時は観音堂が崩壊し、磨崖仏がむき出しになっていました。
奇しくも2012年6月23日、ちょうど3年前でした。
少しずつ復興が進んでいるようにも見えますが、まだまだ先は長いです。

20120623小高観音堂磨崖仏

20150623小高観音堂磨崖仏
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