大学の授業期間および正規試験期間は終了しましたが、3年生の自由研究発表がまだでしたので、2日間に分けて実施しました。
今年に入ってから、3年生だけのゼミも回を重ね、だいぶ違和感がなくなってきました。

年度内最後ということで、いただきものも休憩時間に大放出?です。
まずは、わたしの頭の上がらない方(笑)からの下賜品。
名古屋名物はさまざまなれど、近年よく見聞きするようになった、小倉トースト風のお菓子です。

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こちらはTっくん(笑)のふるさとの味。

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そして、卒業も決まっていないのに(苦笑)早くもゼミ仲間で卒業旅行にいった4年生からのお土産。

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卒論発表会でいただきながら分けきれなかった菓子類もみんなで山分けしました。どうもごちそうさまでした。

終了後は恒例の3年生とだけの打ち上げ。
今回はいつもと趣向を変えて、年末の福島餃子を楽しむ会の再チャレンジに。
いつ食べても美味しいです。大好物です(・ω・)

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突然の一発芸といいながら、この男は何をしたかったのでしょう(笑)。
すっかりいじられキャラとなってしまいましたが、それでも愛すべき(?)奴です。

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それはさておき、2017年は就活に卒論にと多忙で、それぞれの人生にとっても大きな意味を持つ1年になるでしょう。
今までの卒業生たちと同じように、本来の大学生らしく学問を大事にしながら、ぜひ自分の力で未来を切り開いてください。
来年度からは後輩だけでなく、初めて大学院の先輩も迎え入れることになりました。
ゼミの先輩として、新4年生のみんなの力に頼る部分が何かと多くなりますが、あらためてよろしくお願いします。

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3~4日にかけて、恒例の歴史系3ゼミ(考古学・文化史・地域史)合同の卒論発表会が行われました。
文化史ゼミは報告と質疑応答の時間を確保するため、2日間にわたって開催されました。

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報告者は古い時代から順番にということで、初日は平安~戦国頃の報告がありました。
鎌倉時代の絵巻物『春日権現験記絵』と説話をもとにした天狗の様相、1300年代で大きく変化するという天皇の葬送儀礼、室町時代の公家・武家社会に見る酒宴と「酔い」、文芸との関わりからみた明智光秀の人物像の再考、そして戦国時代の蘆名氏の家臣団統制と家中をテーマとした発表でした。

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2日目は戦国~近世、ヘッドライナー(笑)もとい大トリの発表は明治期(!?)に足を突っ込んでいます。
天正期の南奥羽大名・郡主の和平交渉と中人制の変質、小西行長の豊臣政権における役割の再検討、近年の豊臣秀頼政権の再評価に対する再検討、白石城を中心とした近世城下町における寺町の特質と役割、近世の最上紅花の品質と評価、二本松藩藩校の教育とその特質、そして信夫郡における神仏分離の展開をテーマとした発表でした。

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内容のよしあしはもとより、「論文」という体裁自体がきちんと整っていたかなど、きついことも含めていろいろ言いましたが、どう受け止めたでしょうか。
卒業論文をレポートに毛の生えた程度にしか考えていない者たちが少なからず存在するという嘆かわしい風潮の中で、3年生の頃からテーマを模索し、何百年も前に書かれた和様漢文体の史料や学術論文と向き合い、長い時間をかけて試行錯誤しながら、人生最初で最後かもしれない何十枚にわたる文章を書き上げた経験は、誰でも簡単にはできることでないだけに、きっと人生のどこかで活きてくるはずです。
そのことは、これまでの卒業生たちの社会に出てからの成長ぶりが如実にあらわしています。
卒論の作成から報告に至るまで、最後までやりとげたことに、自信と誇りを持ってもらいたいと思います。
そして、そんな皆が卒業後に社会人として成長した姿を見せに来てくれたら、これほど嬉しいことはありません。

今回は卒業生がたくさん来てくれて、随所で的確な質問をしてくれました。
いい質問なので、思わずうんうんと頷いてしまうことが何度もありました。
卒論を書いた経験のある人のいうことはやはり違います。

2016年度卒論発表会 (2)

たくさんの差し入れもありがとう。
発表者の疲れた体と心を随分と癒してくれたはずです。
わたしの北菓楼がすっかり霞んでしまいました(笑)。

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3ゼミ合同の慰労会は、卒業生・修了生を含めて50名近く(!)が参加したそうで、盛大でした。
前任の伊藤喜良先生も来てくださいました。

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卒論を書いた学生たちがそれぞれの思いを語ってくれましたが、3年生たちにはとてもいいアドヴァイスになったのではないでしょうか。
今回は特に、実習室でともに卒論に取り組めたことへの感謝の念を述べた人たちが多く、それだけに、そうしなかったのが勿体無かったという発言が印象に残りました。
卒論は個々人の大学4年間の学問の集大成であり、史料、先行研究、そして自分との孤独な戦いでもあります。
周りを気にせず、自分のペースで独りでやっている方が好きな人もいるでしょう。現に大学4年の頃の自分は、大学院への進学を考えていたこともあり、ずっと大学図書館に通って論文の作成に取り組んでいました。
でも、同じように苦悩しながらがんばっている仲間が近くにいたら、折れそうになった気持ちをもう一度奮い立たせて、またやってみようという気持ちになるでしょう。
彼らは決して馴れ合いという意味ではなく、いいライヴァル関係のように切磋琢磨しながら論文を書き上げることができたという、仲間への素直な感謝の思いを表明したかったのだと思います。
そんないい仲間に恵まれたゼミ生たちを、ちょっとだけ羨ましく思いました。

3年生たちにとっては、もう目の上のたんこぶもいなくなりますので(笑)、実習室を自分たちの居場所としてぜひ積極的に活用してもらえたらと思います。
とりあえず卒論を書いた皆さん、おつかれさまでした。

2016年度卒論発表会 (1)
博物館実習(古文書選択)の授業では、地域をまるごと博物館に見立て、学生の目で歴史・文化遺産を再発見・再評価し、報告会で地元住民を初めとする市民とその成果を共有する活動に取り組んでいます。
2015年度は初めて、国見町貝田地区で「貝田宿まるごと博物館&まるっと見学ツアー」を実施し、幸いにも大勢の方に足をお運びいただくことができました。
今年度は同じ国見町内の小坂宿にスポットをあてて、夏ごろから学生たちとともに、フィールドワークや資料調査を進めてきました。

1月29日、約10か月にわたる座学とフィールドワークの成果が試される本番を迎えることになりました。
場所は旧小坂小学校、現在は小坂ふれあい館となっている施設です。

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前日の会場設営などの準備の様子です。
各グループで作成したレジュメを綴じ、ボードを組み立てて、できあがったポスターも掲示します。

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午後からは、現地見学会の予行練習として地区内をまわり、本番さながらに注意点を確認しながら、説明内容について確認と修正をはかりました。

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絶好の青空で、雪景色も眩しく映えます。

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明日も同じような好天を期待しつつ…。


さて、本番当日です。
天気もまずまずといったところ。
お客様をお迎えする準備ができる間もなく、受付前から徐々に参加者がお越しになられました。
関係者を含めてですが、80名ほどの参加者がありました。ありがたいことです。

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今回は4つのグループに分かれて調査・研究を進めてきました。
①小屋館グループは、小坂地区にある12代当主伊達成宗の墓と、その隠居所と伝えられる小屋館に注目し、地元でもあまり知られていない戦国初期の伊達氏の史跡がもつ歴史的意義について、成宗と尚宗の父子が対立する明応の乱に注目しながら考察しました。教育委員会関係者の案内で旧跡を踏査し、自分たちなりに感じ取ったことも報告に生かしていました。

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②小坂宿と羽州街道グループは、桑折で奥州街道から分岐する羽州街道の最初の宿場町である小坂宿の景観の変遷と特徴を、江戸時代の村絵図や明治の地籍図、昭和の写真から追いました。さらに羽州街道の難所として知られる小坂峠の様相を、ゆかりの人物や通路開拓の歴史から紐解きました。秋と冬の2回、自分たちで踏査した成果も盛り込まれていました。

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③小坂地区の古文書グループは、2012年3月の被災資料調査の過程で初めて所在確認された江戸時代の高札と、戊辰戦争前後に人馬や宿の手配を命じた先触3点を紹介し、その内容を検討しました。高札は、国境の地にあった小坂で統制された人や物資の様子が具体的にわかる貴重な史料です。先触からは、羽州街道で山形方面と結ばれていた小坂宿の重要性が伝わってきます。

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④小坂地区の寺社と信仰グループは、宿を見渡す高台に位置し、住民の信仰の核となってきた松蔵寺の歴史を、言い伝えを軸とした郷土史研究の成果に学びながら整理しました。そして、今では下火になってしまったものの、長い歴史を有していた地蔵堂にまつわる信仰と祭礼の様子を、古写真をお借りして説明しました。地元の方には懐かしい行事と風景だったのではないでしょうか。

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ある意味で期待していた通り、地元の皆様からはさまざまなご教示を賜ることができました。
予期せぬさまざまな質問に臨機応変にどう答えられるか、学生たちにはいい経験になったと思います。
最後に全員で前に立ち、参加者から講評をいただきました。
一同御礼申し上げます。

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終了後には河北新報さんとふくしまFMさんから取材を受けました。
ふくしまFMさんは、学生たちにインタビューしてくださいました。
これまた初めてのいい経験になったのではないでしょうか。

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午後からはいよいよ博物館の「展示見学」にあたる、古文書展示と巡検ツアーです。
30名ほどの参加者があったため、先に古文書を見る一行と、先に地区内をまわる一行の二手に分かれていただきました。
学生たちも二手に分かれ、午前の報告でご紹介した歴史・文化遺産や歴史的景観を案内していきます。

古文書の展示では、初めて見る地元の古文書に強い関心をお持ちいただいたようで、見学者の間で話がもりあがっていました。
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続いて外に出て、地区内の歴史・文化遺産を辿っていきます。

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最初は会場のすぐ近くにある地蔵堂です。
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宿場町は街道を中軸として両側に屋敷地が広がり、間口が狭く奥行きの広い短冊形地割を特徴としています。
小坂宿でも江戸時代の村絵図や明治時代の地籍図のほか、震災後の調査で所在確認された幕末の家屋敷図でも確認でき、その地割が今日でも利用されています。
そうした景観の名残りを随所に感じつつ、要所で説明を加えながら、旧羽州街道の坂道を登っていきます。

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途中から道を入り、600mほど進んだ先に、松音寺の故地と伝えられ、伊達成宗の墓や小屋館の見えるあたりに到着します。
説明ののち、霊山方面を見渡せる周辺の景観をご覧いただきましたが、いかがだったでしょうか。

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再び旧宿場町に戻り、今回は遠いのでコースに入れることのできなかった小坂峠について説明したのち、最後の松蔵寺に向かいます。

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松蔵寺からは、小坂地区のまちなみを展望することもできます。
江戸時代に寺子屋があったころ、ご住職が子どもたちの帰りをやさしく見守っていた光景が感じられるというMくんの説明は、なかなかよかったのではないでしょうか。

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約1時間半に及んだ見学ツアーも終了です。ご参加いただきまして、ありがとうございました。

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参加者の皆さんがお帰りになられた後、片付けと反省会、講評ののち、記念撮影をして終了です。
達成感を得られたのでしょうか、はたまた安心したのか、みんないい笑顔です。

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今回も教育委員会を初めとする国見町職員の方々のご支援があって、何とか無事終了までこぎつけることができました。
いつものことながら、暖かくきめ細かな心遣いとご指導に、心より感謝申し上げます。
学生たちがいつか社会人となった時に、今回の経験がどこかできっと役立つことを信じて、また来年度も新たな試みを始めていきたいと思っていますので、関係者の皆様にはこれからもよろしくお願いいたします。

12月15日、マスコミが一斉に、来年の大河ドラマの主人公である「女地頭」井伊直虎が男ではないかという新史料が発見されたと報道しました。
朝日 毎日 読売 日経 産経

当然のことながら、マスコミや世間は「井伊直虎は男か?」と大騒ぎしていますが、かつて遠州井伊谷徳政の論文を書いた一歴史研究者としては、新出史料によって、戦国期の井伊氏と井伊谷地域の実態解明が進展する可能性が出てきたことを歓迎したいと思います。

報道によれば(日経)、井伊家の跡取り候補が次々と亡くなり、領内が混乱したことをうけて、今川氏真は家臣関口氏経の子で、氏経弟の新野左馬助の甥にあたる人物を井伊次郎として、井伊家の領地を与えたと記述されているといいます。

次郎直虎の名が登場するのは、永禄9年にいったん出されながら施行が停止されていた徳政令を、永禄11年11月になって再試行を命じた書状です。
論文を書いた当時は、関口氏経と次郎直虎が連署して出している理由がうまく説明できずにいました。
ここに出てくる次郎直虎が、関口が送り込んで「井伊次郎」とした人物であるとするならば、父が子をサポートしたものと解せることになり、スムーズに理解できます。

また拙稿では、永禄9年の最初の徳政令の試行を停止した「井主」を「井伊家の主人=直虎」とする通説に対し、永禄11年9月の瀬戸方久宛今川氏真判物に出てくる「主水佑」に比定し、背景に永禄期の井伊家の家督と家中の混乱があることを想定しました。
今回の新史料でも、井伊家の家督と家中の混乱が記述されているようで、拙稿の推定が裏付けられることになります。

その意味で、井伊家の筆頭家老木俣氏の聞書は、一次史料から想定される史実を説明するのにうまく符合することもあり、信ぴょう性は高いと考えてよいのではないかと思います。
あとは、読んでみないと何といえないので、史料の全容が公開されることを期待したいところです。

それにしても、井伊美術館が50年前に購入しておきながら放っておかれた史料が読み返されることになった(日経)こと自体もそうですし、マスコミがこぞって大きく報道したのも、すべては大河ドラマの主人公だからです。
そうでなければ、いずれ読み返されることはあったとしても、一部の戦国期研究者の間で話題になった程度だったはずです。
ある意味で、大河ドラマさまさまといったところでしょうか。

なお、付言すれば、井伊次郎が関口氏経の子、新野左馬助の甥であるとする聞書の叙述を前提に、井伊次郎と次郎直虎が同一人物であると解するならば、次郎直虎は男性ということになります。
一方、先の瀬戸方久宛今川氏真判物に「次郎法師年寄誓句幷主水佑一筆」と出てくるように、先立って方久に買地安堵状を出している「次郎法師」は、本来の井伊家の人物(当主か)で、関口の送り込んだ「井伊次郎」とは別人であった可能性も想定されます。
事実、一部報道でもそのように解釈できることが伝えられています。

かつて拙稿では、井伊次郎法師が女性であるという前提で、「年寄誓句」という語句をもとに「家老を中心とした一族・家臣団が強い後見を以て次郎法師を支えていただけでなく、政治的決定権についてもかなりの影響力を持っていたと推察される」と説明しました。
女性だから後見が必要だったなどと言うと、「おんな地頭」のイメージを崩すものだ、女性を軽視していると批判されそうですが、もしこの推論が妥当であるならば、井伊家の流れを引く「次郎法師」が女性で、関口氏経の子の「井伊次郎」が「次郎直虎」であり、別々の人物の話が一人の話になってしまったと解する余地もあります。

考えてみれば、江戸時代になって次郎法師が女性だという話が出てくるのもやや唐突で、根拠となるそれなりの伝承があったものと推察されます。
それこそ齋藤道三の親子二代美濃攻略が道三一代の事績にまとめられた話ではありませんが、二人の人物の事績が一人のものにまとめられてしまったのであれば、井伊次郎法師が女性であったとする可能性も全く捨てきれないところです。
もちろん、次郎法師が男性であっても、歴史像が解明された結果であれば、それはそれでよいと思います。

ということで、久しぶりに(?)20年以上前に書いた旧稿を少しばかり読み返してみました。
あらためて既知の史料を読み返してみる必要がありそうですね…。
機会があれば、ぜひ新出史料の内容も知りたいところです。

珍しくブログで自分の研究のことにふれた(笑)雑感でした。

阿部浩一『戦国期の徳政と地域社会』
前回の続きです。何と記念すべき?200号目の記事です。

第3日

博多でYちゃんと別れ、九州新幹線(個人的には初めて乗りました)で熊本を経由し、南の宇土市に向かいました。
誕生日祝いで見かけたのの本物に出会いました(笑)。

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ご案内いただくのは宇土市教育委員会の大浪さん、そして約20年ぶりの再会となる、熊本県立図書館学芸員で地元出身の青木さんです。
横浜国大の有光友學先生のもとで出会った『静岡県史』編纂の補助作業者と大学院生が、熊本地震を機に再び「つながる」なんて、予想だにできませんでした。
不思議な縁ですが、きっと有光先生が天から引きあわせてくださったのでしょう。感謝申し上げます。

まず大浪さんに、城下町を歩いてご案内いただきました。

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歴史ある武家屋敷が被害に遭ったほか、屋根にビニールシートを被せた家屋が多くみられ、あらためて熊本地震の被害の深刻さを思い知らされます。
重要な歴史的建造物ということで、保全に動こうとされているそうです。

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宇土の城下町には轟水源から引いて来られた轟泉水道が今でも利用されています。
現役としては日本最古と言われているそうで、その水道を辿って宇土城跡へと向かいました。

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特徴的な赤い石は馬門石といって、古墳時代には畿内などへも運ばれて石棺に使用されていたそうです。
10年ほど前に、実際に石を古代船に乗せて輸送する実験も行われたそうです。
ロマンがあって、面白いですよね。

今度は青木さんのご案内で、近世の宇土城跡を廻りました。
現在は宇土高校や住宅地などになっているため、一見さんがふらりと立ち寄っても何もわかりませんが、地元に精通した方にご案内いただくと、本当にわかりやすく、面白く巡検できます。

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縄張図を片手に、城の痕跡を辿って歩きつづけると、ようやく城らしい雰囲気の場所に着きました。
ここでしばし、九州の戦国史についての講義をいただきました。

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小西行長像のある本丸跡で、花見の時のようにシートを敷いていただいて昼食。

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お弁当を手配していただきました。たいへん助かりました。
有光先生との思い出話を交えた青木さんのお話しは、雑談のようでありながら、一人の研究者としての奥深い話で、それこそ授業で多くの学生たちに聞かせたいものでした。
一緒に聞いていたゼミ生たちはどう受けとめたでしょうか。

小西行長像の前で記念撮影。

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引き続き城内を巡り、今度は麓の西岡神社から中世宇土城跡に向かいました。

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もともとは宇土氏、名和氏が拠点とし、小西行長がその東側に新たに城を築いたことから、中世と近世の宇土城があります。
縄文と柵が復元してあったこともあってか、解説は中世の戦争、戦法の話に及び、よほど興味を引いたのか、学生たちは楽しそうに聞き入っていました。

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宇土高校の構内に戻り、板碑などを見学したのち、歩いて城下町を巡検。
これまた随所にかつての名残りが見られ、歴史あるまちならではの面白さを体感しました。

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途中、教育委員会にもお邪魔しました。

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ここでは大浪さんから、宇土市の多様な取り組みについてお話しいただきました。
『宇土市史』の編さん資料を市民に公開して利用できるようにしたり、公文書の保全整理を条例で定めたり、「うと学」を立ち上げて地元の人たちと地域を知り、学ぶなど、かなり積極的に取り組んでおられます。
公務員になる、これからめざす学生たちにとっては、現場の生きた声を聞かせていただけて、たいへん勉強になりました。

最後に、轟泉水道の終点でもあり、川舟の荷の集積場としても栄えた船場橋を見て、宇土駅まで送迎いただきました。

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宿は玉名温泉、青木さんのご紹介の宿へ。
男組は送迎バスに大型荷物を預け、青木さんがぜひ見て欲しいと仰っていた繁根木八幡宮を見学。
またおみくじ引いてるよ…しかも恋愛運だって(笑)。

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さすがに日も暮れて真っ暗になってしまったので、もう一つおすすめの高瀬津の見学は断念し、歩いて宿へ。
いつもはビジネスホテルばかりなので、こういう旅館に泊まりたかったんだそうです。
食後に男全員で露天風呂に入ったのが、もしかしたら一番嬉しかったかもしれないな…。

最終日

泣いても笑っても(?)この日で終わり。
全員で美味しい朝食をいただいたのち、熊本市内へ。
まずは加藤清正と一緒に(笑)。
その後はくまモンと(笑)。

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部分的ですが、城内を見学できることがわかったので、コースに沿って加藤神社まで向かいました。
報道で見聞きしていたとはいえ、崩落した石垣を目の前にすると、地震の威力の凄まじさがよくわかります。
今さらながら、震災前に見ておきたかったですね。

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七五三の季節ということで、加藤神社は参詣の親子連れで賑わっていました。

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ここでいったん解散し、自由行動。
私は神社からまっすぐ降りて、被災状況を外から見ながら、一周しました。

その途中、城彩苑で11時半から始まったという、イケメン武士たちのショー(?)をのぞいてみました。
この日は小西行長が出るんだそうです。
揃いも揃ってはしゃいでいる娘たちを見て、こんなゼミ教員で悪かったねぇ、この野郎と思いつつ(半分は作り話、半分は…?)、面白いのでステージではなく観客を撮影(笑)。

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その後は城の残り半分を見てまわり、熊本駅へ。
全員集合ののち、現地解散。
入場券を買って、新幹線ホームまでお見送りしました。

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女子はまっすぐ福島に戻りましたが、男子は有志で長崎に向かったそうです。
あとで聞いたら、好天で海も穏やかで、目的の軍艦島に上陸できたそうです。よかったね。

とにかく4日間好天に恵まれ、上着を着ているのが暑いくらいの強い陽射しでした。
彼らに学んで欲しいことはたくさんありますが、何より堀本さん、青木さん、大浪さんがいい先生になってくださいました。
博物館の学芸員として、公務員として、あるいは歴史学を学んで地域に関わる者としてどうあるべきか、何が大事なのか、たくさんのことを教えてもらったはずです。
一人ひとりが自分で理解し、感じとったことを、ぜひ将来のキャリアに生かしてもらいたいものです。

4年生は学生時代最大の思い出を胸に、卒論まっしぐらで突き進んでください。
3年生はだんだん残り少なくなっていく4年生と共有する時間を大切にしてください。
学生時代の忘れられない、かけがえのない思い出の一齣となったのであれば幸いです。